2022.06.10

パルプマガジンみたいに薄っぺらいコラム



親愛なる友だちへ、ひねもです。

先日ずっと公開を楽しみにしていた

“シェイン 世界が愛する厄介者のうた”

を観に行ってきた。

なんとあのハリウッドスターのジョニー・デップが製作。さらにジュリアン・テンプルが監督と凄すぎる布陣で作られたドキュメンタリー映画。

以下、ネタバレ部分があるので鑑賞まだの方は注意してください。









 

 

 

 

 


知らない人のために簡単に説明すると画像の文章の通り伝統的なケルト音楽をパンクロックスタイルで演奏するバンドが“THE POGUES“だ。

 

 

、、、ケルト音楽って何?って人はまずこちらを聴いてみてほしい。

誰しもが1度は耳にしたことがある音楽ジャンルではないだろうか。

 

ちなみにひねもす大臣&THRがよくライブで演奏している“ナンシーウィスキー“も有名な伝統的ケルト音楽ソングである。

こういう音楽をアレンジしてロックンロール界に広めたのがシェイン。

 

我々を含め現在では世界中にたくさんのフォロワーがいる超偉大な存在なのだ。

 

 

 

で、この“シェイン・マガウアン“という男。

 

5歳からタバコ、酒、競馬を嗜み、、、10代でドラッグ中毒に精神病と嘘みたいに破天荒な人生を歩む。

 

スクリーンに映ってインタビューに答える姿を観てまず思うのが“よく今まで生きていたな、、、“とそれしかない。

 

通常の場合こういったロックスターは若くして鬼籍に入るのは定番のパターン。

 

シェインは超例外の存在。“アイルランドの妖精“と言われても納得してしまう。


歯がトレードマーク。

 

余談だが僕が一緒に暮らしているハリネズミも同じような歯並びをしていたのでシェインと名付られた。かわいい。目に入れても痛くないと言いたいけど触れただけでめちゃくちゃ痛い。ハリネズミだから。


 

 

で、シェインは6歳まではアイルランドで暮らすんだけどその後イギリスのロンドンに引っ越す。

 

そこでまさに産声を上げたばかりのパンクロックと出会う。

 

毎晩ライブハウスに入り浸り酒を飲んでは暴れてとお客さんとして悪名を広めていく。

 

本やネットで読んだことはあったけど、ムーブメント真っ只中のセックスピストルズやクラッシュのライブの最前列で客として盛り上がるシェインをまさか動画で見ることができるとは思いもよらなかった。

 

感無量。

 

さすが監督がジュリアン。超お宝映像。本当に凄すぎます。

 

 

 

ライブで盛り上がりすぎた女の子に耳を食い千切られるという謎のエピソードでロンドン中で話題の男となるシェイン。

 

 


そこからバンド結成までのストーリーの前に一旦バンド名について語りたい。

 

正式名称はポーグ”ズ”と濁るのね。知らなかった。

 

でもパンフレットではポーグス ポーグズ どちらも使われてる。まぁなんでもいいんだろうね。

 

元々は"Pogue Mahone"ってバンド名だったのがメディア的にNGで改名したらしいから思い入れもたぶんないんだろう。

 

ちなみに"Pogue Mahone"の意味はゲーリック語で「Kiss My Arss ケツにキスしやがれ!”だそうです。

 

すごいバンド名。

 

ジョンスペンサーが“The Jon Spencer Blues Explosion”の前に組んでた” Pussy Galore“にも匹敵するね。

 

こういう系の過激なバンド名は日本にもたくさんいて町田町蔵のINUの前身バンドとか。

THE日本脳炎はメジャーデビューのときにはTHE BACILLUS BRAINSに改名したし。古くは村八分、外道、頭脳警察、、、とあげればキリがない。

 

ちなみにシェインが最初に組んだバンドは”NIPPLE ERECTORS”とこちらも卑猥な名前。

んでTHE POGUES
脱退後に組んだバンドは”The Popes“とかなりテキトーな名前でいやはや最高。

 

ポーグス辞めてポープス。

バンド名なんてそんなもんで良いのだ。

さらにTHE POGUESはバンドロゴも定まってなくて毎回違うデザインが使われている。

“THE“も付いたり付かなかったり。

 


 

 

ではバンド結成時まで戻りたい。

 

1977年には単なるお客さんだったシェインは1978年になるとパンク仲間たちと先程書いた“NIPPLE ERECTORS“を結成。

 

こちらも酷いバンド名なのでデビュー時には“THE NIPS“に改名。

 

このバンドの音源を聴いてみると当時のパンクムーブメント真っ只中の勢いあるバンドの1つといった趣きがあってとてもかっこいい。

 

だけれども、この正統派パンクバンドのままで終わっていたらここまで語り継がれる人物にはなっていなかっただろう。

 

このバンドはパンクムーブメントが下降していく中で消滅。

 

で、ならばもういっそと自身のアイデンティティであるケルト音楽とパンクロックを合体させてしまおうということになる。

 

これが歴史的大発明だったのだ。

 

バンジョーやマンドリンを曲によって使うバンドはそれまでにもいただろうけど、それらの楽器担当者が常駐していてさらにアコーディオンやティンホイッスルがいるロックバンドは世界初だったんじゃないだろうか?

 

1982年の出来事。

 

 

 

 

こうして西暦で見ると随分と最近の事だなと改めて驚いた。

 

 

僕が物心ついて音楽を聴き始めたのはこの何十年も後の事なので、日本にもアイリッシュ派生の音楽を演奏する人々がたくさんいるのが当たり前だった。

 

なのでいつ頃に産まれた文化なのかを全く気にしたことがなかった。

 

 

1982年。

 

ロックンロール誕生が1951年。

ロックとクラシックが融合したプログレ誕生が1960年代後半。

ヒップホップは1970年代初頭に誕生。

 

 

アイリッシュパンク誕生がヒップホップよりも10年以上遅いというのはかなり意外な感じがした。

 

伝統音楽と大衆音楽の融合というのは初期からたくさんあったのに。

 

その謎は後に判明する。

 

 

 


脱線話。

 

日本で考えてみると寺内タケシさんが日本の民謡“津軽じょんがら節“をエレキギターを使ってロックンロールにアレンジして演奏したのは1966年頃らしい。

 

テケテケサウンドで一世風靡したザ・ベンチャーズが結成したのが1959年。

そこからわずか7年後の事だ。

 

かなり早い段階で西洋と和の融合があった。


 

先程アイデンティティという言葉を使ったがシェインのルーツはアイルランド。

 

ここに大事なポイントがあり歴史の話しになっていく。

 

僕は世界史に全く詳しくないので全貌をよくわかっていないのだが、映画を見る限りどうやらアイルランド人というのは“ホワイトニガー/白い黒人“と呼ばれるほど差別の対象となっていたらしい。

 

イギリス国内ではアイルランド人であるというだけでイジメられ、マトモな職業にも就けずととにかく地位が低いらしい。



 

シェインも6歳でロンドンに引っ越してから差別の対象となった。

 

相当にイジメられたようだ。

そこから抜け出すため喧嘩やドラッグ売買を始めたりと破綻していき学校を退学となる。

 

夜の街、ライブハウスの暗がりだけが自分の居場所となる。

 

この辺りがシェインの“ならず者“のイメージの由縁だ。

 

 

元々は繊細で優しい人であったようだが過激な性格になっていく。

根っこは今も変わらないとは思うが。

 

 

相当に難解な性格らしくて映画内でのインタビューがとにかく大変そうだったのも印象的。

 

質問する人がジョニーデップを始めとする友達や家族とか親しい人ばかりなんだよね。

 

いわゆるプロの聞き手は登場しない。

リラックスさせるためだと思う。

 

 

 

 

ならず者で世界から弾かれてるシェインは先程書いた通りTHE NIPS解散後に“ならばもういっそ“と愛国精神全開で伝統的ケルト音楽をパンクロックスタイルで演奏し始める。

 

差別されてるアイルランド人がアイルランド音楽をロンドンでやるのだから、かなり勇気がいる活動だったのだ。

 

バンド名もゲーリック語で下品な名前。

 



 

で、これがセンセーショナルで猛烈に支持を得たのである。


誰もやろうとしなかったことをやったシェイン。すごい!


 


そして冒頭でYOUTUBE載せた“フィエスタ“と後にヨーロッパ中で定番クリスマスソングとなる“ニューヨークの夢“の大ヒットで売れっ子ロックスターになる。


その後、日本を含め世界中にフォロワーが産まれる。

しかしドラッグとアルコール、精神の問題はずっとついて回る。

 

 

 

こういった酒好きで破滅型の人物というと“古今亭志ん生“や“チャールズ・ブコウスキー“なども思い浮かぶ。

 

志ん生もズボラでいい加減なイメージがある。

 

しかし若い頃は電車賃も無く行き帰り何時間も歩いて寄席に通う事が多々あったが、その間ずっと落語の稽古ができて良かったと語っていた。

 

ご飯も食べずに師匠達の噺を楽屋でずっと聞いてたり。

 

あの一見いい加減や適当に見えてしまう雰囲気は相当な練習量があってこそのもの。


”良い加減“で本当の“適当”なのだ。


 

 

ブコウスキーは酔っぱらいの競馬好きの最低なヤツのイメージがある。


しかしどれだけバーで酔っ払っても帰宅したら毎日のようにタイプライターで小説を書く。


ずっと落選しても出版社に新作を送り続けるなどかなりの情熱家なのだ。


数打ちゃ当たる的な側面は否めず駄作もあるが、とにかくそれだけの量を書く情熱が凄い。


そして真実を射抜く本物の言葉がたくさんある。

 

 

ついつい表面的な破天荒に目が行きがちだがそんな事だけでたくさんの支持なんて得れるわけがないのだ。

 

それぞれ落語が好き、小説が好き、音楽が好き。それも強烈にひたすらに好き。


他の要素はあくまで結果的にそうなってしまっただけだ。


そしてたまたまなのか必然か自分をアートとして表現する術を持っていたのだ。

 

 


 

シェインは全盛期には1年に363回のライブをしたらしい。

 

かなりハードワークだが投げ出さずにステージに上がる辺りはやはりとても真面目なんだろうなと思う。


で酔っ払って歌詞を飛ばすのは御愛嬌。

 

“優れた詩人“と言われた時には“俺はミュージシャンだから歌詞だけ褒められるのは気に入らない“的な発言もしていたり。

 

 

まぁ後半はボロボロになってバンド側からクビにされてしまうのだけど。

 

そうシェインは自分のバンドをクビになっている。

 

その辺の関係が複雑なのかポーグズのメンバーは1人も映画には登場しない。

 

あくまでシェインの人生がストーリーのメインで、ポーグズでの活動はその人生の大事な一部分という描かれ方だ。

 

とはいえライブシーンは頻繁に流れるのでメンバーも許可とかはくれてるんだろうけど。


今回シェインの映画を見ていて日本人で似た人物を3人連想していた。

 

1人は喜納昌吉。

 

言わずと知れた沖縄民謡をアレンジした“ウチナー・ポップ“で有名なミュージシャン。

 

沖縄がまだアメリカだった時代。

 

沖縄戦のトラウマで精神障害になった女性が自分の子供を殺害。残された夫である”おじさん”が夜な夜な喜納昌吉さんの家に酒をねだりにくる。

 

その様子を歌にしたのが“ハイサイおじさん“だ。

 

後に志村けんが“変なおじさん“とパロディをすることでも有名な楽曲。



ルーツを知ると”変なおじさん”と言うよりは”変になってしまったおじさん”だ。



 

貼ったYouTubeのライブ、とてもグルーヴィーでめちゃくちゃかっこいい。

 

 

 

古くから伝わる琉球民謡をアレンジしエレキギターを持って”内地/本土“に向けて演奏した姿はシェインと重なる部分がある。


当時のロンドンでアイリッシュパンクって日本で置き換えたらたぶんこういう事なんだろうと思う。


だとしたら超クールだ。

2人目はザ・ルースターズの大江慎也さん。

 

“恋をしようよ“で知られる博多めんたいロックの雄だ。

 

バンド全盛期に神経衰弱で精神病院に入院。

不安定になりバンドを脱退する様もシェインを彷彿とさせる。

シェインもポーグズ脱退後に精神病院に入院していた時期がある。

 

2000年代中頃だったか伝説のミュージシャン大江慎也が久しぶりにテレビに出演というので、深夜の放送だったが夜更かしして見た事がある。

 

その際のインタビューの緊張感ある空気が今回の映画のシェインと似ていた。

 



大江さんは生きる事を選んだ。シェインも生きる事を選んだ。

 

 

現在の大江さんはソロライブや配信なども精力的に行なっていて活躍している。

 

ひねもす大臣では“GO FOR THE PARTY“をライブのレパートリーに加えていた時期もある。


生きることはエキサイティングなのだ。

3人目は中島らもさん。関西の小説家。

 

アル中になり入院した実体験を元にした小説“今夜、全てのバーで”のヒットで有名。

 

高校時代からヒッピーもといフーテンとして過ごしバンド活動もする。

 

音楽活動としては放送禁止用語が盛り沢山ながら愛溢れる全肯定ソング“いいんだぜ”が有名。現在でもたくさんの人が歌い継いでいる名曲。

 

難関名門の灘高校出身者と秀才の一面も持つ。

 

僕は著作はほとんど持ってるくらいのファン。

 

ひねもす大臣&The HouseRockersの前に組んだバンド名はらもさんの著作タイトルから拝借したほど。

 

当時の入場SEもらもさんがやっていた”PISS”というバンドの曲だった。、、、これも酷いバンド名だな。

 

 

 

もう一つ大きな影響を上げると僕の名前の”ひねも”もらもさんの影響から。

 

元々は”中島羅門”というペンネームだったらもさん。

 

ある日にちょっとカッコ良すぎるなと一文字削る。

 

いわく”少し足りないくらいがちょうどいい”と。

 

 

 

 

僕は”ひねもす大臣”というバンド名なので最初は大体の人が”ひねもすー”もしくは”大臣”と呼んでくる。

 

で、呼び名はなんでもよかったが大して売れてるわけでもないのに●●バンドの●●とかってわざわざ名乗るのはちょっと面倒だし覚えてもらいにくいなと。

 

 

そうなると名前が”ひねもす”でいくのが自然だけどらもさんを参考に一文字削って

 

”ひねも”

 

にした。

 

そうするとだいぶマヌケな響きになって結構気に入っている。

 

“らもん”より“らも”

 

”ひねもす”より”ひねも”

 

の方がカドが取れてなんとなくとっつきやすいような。そんな気がする。

 

 

 

、、、たぶんやってることは”ゆきぽよ”とか”みちょぱ”と同じです。

 

ただあっちは要素を足してるからね。こっちは引き算の美学。

 

 

 

で、らもさんもヤク中&アル中の時代が長かった。

 

それでなのか元々なのかはわからないが喋りがとてもスローで独特の雰囲気があり、今回のシェインのインタビュー風景とリンクする部分がたくさんある。

 

大槻ケンヂがゲストにらもさんを招いた映像があるのだがかなりアウトな雰囲気でたまらない。

 

究極の自然体。

 



、、、さぁ今回も長くなりすぎてしまっているがもう少しだけ旅を続けよう。




インタビューに答えるシェイン。

それはさながら神様が話しているかのよう。

寅さんでも書いた”聖人”という言葉が思い浮かぶ。

ピュアでどこまでも人間らしく。

ぶっとい芯がひとつ。

そして大きな愛。




シェインは現在は車椅子生活で、ライブなどはしていない。

タバコも電子タバコで、もしかしたらニコチンなどが入ってない単なるベイプなのかな?とかも思う。

震える手でグラスを掴み酒を啜る。



ラストで奥さんがインタビューするんだけど

“また曲が書きたいね”と答えるシーンにじんわりくる。

ファンサービスじゃなく本音。
シェインはずっと音楽を作り続けるんだと思う。



同じくラストの方だったと思うけど”もし誰かが酒場でおれの歌を口ずさんでくれたらそれが成功だ。そのとき俺は本当に伝統の一部になれるんだ”的なことを言うのだけれど泣けてしまった。



高田渡も生前に同じことを言っていて”ひとつでも歌が残ればいいんです”と。


バンドも名前も忘れられてしまって。それでも曲が残って。メロディが聞こえて。あれは誰の曲なんだろうねって。それが最高だと。




音楽をやっていて、売れる売れないとか今だとフォロワーが何人とかいいねの数とか。人によって成功の評価基準はたくさんあると思う。

どれも否定はしない。



僕は、僕もなにか1つ残せたら良いなと思う。

これは狙ってできることじゃないから大変だ。

やり続けるしかない。






それにしても天晴れな人生。
あなたは最高です。


シェインとアイルランドに祝杯を!
バケツ一杯のジントニックを!
タバコとアルミの灰皿を!
軋む椅子と曲がったテーブルを!






以上、アイルランドの妖精を見た話しでした。

シェインの音楽と人生はまだこれからだ。



ブラザー、シスター、引き継いで新しく。継承と革新。

ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。



 P.S

映画の中でインタビュアーとして登場する奥さんのヴィクトリア・メリー・クラークさんがバンギャの頂点みたいなルックスですこぶる最高。

 

シェインと16歳で出会って結婚したのは2018年。交際期間32年。婚約してから11年とここのエピソード盛り沢山そうで気になる。

 

一体どういうことなんだ!

 

アナザースカイ?スピンオフ?で誰か取り上げてくれ!!

 

 

ヴィクトリア!!あなたは最高です!!!


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