2022.11.08

パルプマガジンみたいに薄っぺらいコラム

永遠も半ばを過ぎて



親愛なる友だちへ、ひねもです。

夏の終わりにじいちゃんが亡くなった。

四十九日が過ぎて納骨が終わって、この文章を書いている。



いつかこういう日が来るとはわかっていた。

だけど、それは漠然としていてもっと遠い未来の事だと思っていた。



前にも書いてるかもしれないけど、じいちゃんは会社をやっていて新宿区にある。

1階が職場で2階が自宅。

父親もそこに勤めていた。

だから実家に仕事に通っていたことになる。


僕もその家に小さい頃に住んでいた事もある。


そういった話しをするとよく”シティボーイ”とか”都会”と言われるけれど、新宿が都心になったのは最近の事だ。


日本の首都は東京で、都庁が新宿にあるので日本のど真ん中といった印象がある。

だが都庁ができたのは1991年で僕が生まれたときにはまだ無かった。



ついでに言うと大昔は”目白通り”も今みたいにはなってなかった。

戦後の区画整備のときに土地を譲らなきゃならなくて家を半分にされたとじいちゃんが言っていた記憶がある。

今の倍くらい家が広くて当時は住み込みの職人さんたちもいたらしい。


んで目白通りを作成中、つまり工事中の砂利道で子どもである父親はよく遊んでいて学生運動のお兄さんらは投石用の石を拾っていたのを見たとか見ないとか。



家から坂を上がって右に曲がると目白だ。学習院とかがあるところ。

左にずーっと行くと手塚治虫とか藤子不二雄とかが住んでたトキワ荘がある辺り。椎名町と東長崎の間くらい。

僕が通っていた高校はその椎名町にあった。
池袋のひとつ手前。

家の前の通りを真っ直ぐ行くと高田馬場。

駅を渡るとかぐや姫で有名な神田川が流れている。



家から少し行ったところにおとめ山って大きな公園があって、新宿区で唯一”蛍が見れる”って触れ込みのある場所。

もちろん自然に生息してるわけじゃなくてイベント的に放流してたはず。小さい頃に見に行ってた。



東京に詳しくない人からしたら地理がわからないでしょうが要は新宿区の端っこで、都会というよりは下町って感じの場所だ。

ただいわゆる浅草とかあっちの方の世間的に”下町”と呼ばれてる場所とは全く違うエリアなので下町と呼んでいいのかはよくわからない。

江戸時代だと一応は朱引の範囲内だけどかなりギリギリの場所。

現在の皇居である江戸城からかなり距離がある。

宿場町になってるくらいだし。





んで我が家の菩提寺は杉並区の方南町にある。

駅から近くて、環七通りのすぐ脇だ。

大昔に何某と何某だかなんだかがどうにかしてああしてこうしたってエピソードがあって屋根にでかい釜が据えてあるのがトレードマーク。

武道館の玉ねぎみたいに。

毎回来る度に変な寺だなあと思う。

歳を経たせいか、いつかは僕もここで眠るんだなって子どもの頃よりリアルに感じた。









今回の葬儀の際に初めて”過去帳”を見た。

蛇腹折りの古めかしいなんかすごいやつで、どこの家にもあるって言ってたけどそうなのか。

知らなかった。

記されてるので古いのは江戸時代だったから、少なくともその時代から我が家は江戸/東京辺りに住んでてこのお寺に世話になっていたみたいだ。



当たり前なんだけどそんな昔からずーっと現代まで繋がってるって人間ってすごいなと思った。

過去帳見てももちろんほぼ全員面識がない言わば知らない人なんだけど、間違いなく自分の御先祖様なのだ。不思議な感覚。




納骨の際に曾祖母の骨壷があって少し思い出した。

たぶんあれは初めての葬儀体験だった。

僕は3歳くらいだっただろうか。

僕の家と道路を挟んで隣の隣にくらいに住んでて一階で焼き鳥屋だったかお店をしていてやはり上が自宅で。


亡くなったとき、当時はどこもそうだったんだろうが自宅でお葬式をやることになって、そこで遊んでいた記憶がある。


んで曾祖母との思い出としてお店の隣が交番だから面倒な客がいなくて良いというようなことを話したような記憶がある。

だが、いくらなんでも3歳の僕が曾祖母とそんな大人びた会話をするわけないので、たぶん誰かが話しているのを又聞きしたのを記憶違いして覚えてるだけだ。







じいちゃんが亡くなったと朝早くに連絡があって、僕は夏物の礼服を持っていなくてすぐさま買いに行った。

あれは別にボッタクリってわけじゃないんだろうが、店の人はここぞとばかりに高い方を買わせようとしてくるね。

親族で参列するなら正装はこっちですとか言われちゃったらそれにするしかないし。

大好きなじいちゃんの葬儀で略式ってわけにいかないもん。

こっちも慌ててるから探したら家にベルトやネクタイくらいはあったかもしれないけど、とにかく全部買った。

ベルトのバックルはコレ!とかマナーって不思議なとこあるよね。

今でもよくわからない。

そんなとこ誰が見てんだ?とか思うけどやはり気にしてしまう。


店の人は良いスーツなら何十年も着れるとか言うけど、喪服なんて毎月着るもんじゃないんだからそりゃ保つだろうとか思いつつも、とにかく一式全部くれ!と購入した。




葬儀には喪主であるバアちゃんは参加しなかった。

普通に考えたらおかしいのかもしれないけど、その気持ちがよくわかる。

萩本欽一のあのエピソードみたいな事なんだろう。


そんなことしたら、なんだかまるで死んじゃったみたいだろうって。

だから喪主不在。

だけど“だからどうしたの?うちはこうですけど?”ってスタンスで葬儀は行われた。 




バアちゃんは納骨にも来なかった。

四十九日が終わるまで骨も御寺に預かってもらった。




そしてその気持ちを考えると自然と涙が出てくる自分がいる。

どちらの日も“終わりましたよ”と電話だけした。

納骨の日は電話に出なかった。



電話に出ちゃったらまるで全部終わっちゃったみたいだもんね。

そんなのおかしいもんね。







火葬場は渋谷区の代々木八幡。

都心だからか1日に物凄い数の火葬が行われていてたくさんの人がいた。

でかい空間で同時に四家族ずつ。

東京って人多いんだなーて改めて思った。

混んでるからあっという間に終わった。

それがまた寂しいんだ。

戦前から令和まで、何十年も激動を生きて。

だけど1時間足らずでいなくなってしまう。

不思議だね。






普段暮らしててこういう事って日常から隔離されててあまり感じない。

感じさせないようにしてるというか。

だけど逃れられない事実と直面しなきゃならない瞬間がある。

だからそのときのショックがより大きい気がする。





僕は愚かだから何も根拠はないのにただ漠然と





ウィルスが流行って世界中が混沌とするなんて思ってなかった

戦争なんて起きないと思ってた





本当にただなんとなくそう思ってた。



そういうことは自分と無関係か、もしくは作り話しの世界だろうみたいな。





なんとなく今の自分の生活が変わらず永遠に続くと思い込んでいた。




ミサイルとか地震とかも。

そうやって自分の預かり知らないところで突然ぶち壊される可能性があるってわかってるふりしてるけど実は全然わかってないんだなって。




ずっと若いつもりでいたり。




時間は進む。


永遠も半ばを過ぎた

永遠も半ばを過ぎて

永遠も半ばを、、、

って気持ちだ。




胸にポッカリ穴が空いたようなとよく言うけれど、僕の感覚としては元からその穴はあってそれを今回はグイッと広げられてしまった気持ちだ。

そのまま生きていくんだ。









じいちゃんが吸ってた”峰”ってタバコがかっこよくて。

いや正しくは峰ってタバコを吸ってるじいちゃんがかっこよかったのかもしれない。

吸ってみたいんだけど今は輸出のみで日本じゃ売ってないみたいだ。

空港なら買えるらしい。

行こうかな空港。タバコだけ買いに。

こないだは西永福でライブ。

モモコちゃんが呼んでくれた。
いつもありがとう。

終演後、映画や音楽の話しをした。

シスターロゼッタも白いSG弾いててかっこいいんだぜとか。

あとエンパイアレコードってエアロスミスのスティーブンタイラーの娘が出てる映画が僕は大好きでそれもオススメしといた。

若者がレコード屋でアルバイトする話し。たまらない。
あえてなのかアコギのストラップなのがめちゃ渋い。

シスターロゼッタはロック誕生前から活動してるから最初はアコギ弾いててて時代進むにつれて箱物エレキとかドブロとかゴールドトップとか色々弾いてる。

んで最終的に真っ白なボディにゴールドパーツ、しかもピックアップ3発っていかついSGに辿り着くのがたまらない。



Virgin Crab Bandのマツイくんと久々に会えて嬉しかった。

変わらずジョーストラマーモデルのテレキャスターを弾いててよかった。良い音してた。

会うのは解散ライブ以来だから10ヶ月ぶりくらいかな。


自分たちのライブは始まる直前までもしかしたら無観客かな?とも思ったけど、やり始めたらみんな見てくれて嬉しかった。


こういう状況はそれはまたそれで楽しい。

良い演奏だったと思う。


新たにレコーディングしたいなと思ってて色々動いてる。

思うに誰かがケツを引っ叩いてくれりゃ一番良いんだけど、ブンさんが去ってからはなかなかそういった人は現れず自分で動くしかないのだ。


アイディアはたくさんあるんだけどね。


たくさんあるカバーも内容に自信はあるのだけれど権利関係の手続きが面倒でなかなか音源化に向けてのやる気が出ない。

でも形にできたらきっといつか正当な評価を受けれる気もしてる。



僕らのバンド名の元ネタの本家ハウスロッカーズがそうだったように誰かがお前ら音源出せ!ってレーベルやってくれりゃ一番良いんだけどな。

アリゲーターレコードならぬクロコダイルレーベルとか?



今度はおめでたいことのでまたスーツが必要になって300000000年ぶりに並木で仕立ててもらった。


ロックやお笑いでスーツといえば並木しかない。

説明不用だけど、ミッシェルガンエレファントや東京スカパラダイスオーケストラやU字工事やサンドウィッチマン、、、と名前を出せばキリがないくらいたくさんの人が舞台で着用してるオーダーメイドのスーツ屋さん。




先代が亡くなって2代目になってからは初訪問。

梅ヶ丘駅が昔と雰囲気変わってて店どこだったっけと迷子になった。



今もたぶんそうだろうけど成人式は並木のスーツって風潮があった。

僕も19歳のときに注文しにいった。

憧れのモッズスーツ。

チェンジポケット、クルミボタン、三つボタン。

先代の渋いおじいさんが全身採寸してくれた。



んでこれ倉林くんやエガシラくんも言ってたからたぶん誰もが通る道なんだろうけど



君、座らないよね?

腕なんか曲げないだろう?



っておじいさんが淡々と質問してきてどの箇所も極限に細く仕立ててくれるのだ。



普通のスーツ屋じゃまずありえない光景。



映画”さらば青春の光”で若者が街の仕立て屋で”もっと細く!”って注文する場面を誰しも覚えてるだろうけど、あれの逆バージョン。




内心は




えっ?

式の最中ずっと自分だけ立ったままってこと?

同窓会のとき乾杯したくても腕曲がんないから乾杯せず直立不動ってこと?




と動揺するが、気持ちは10代のバカにありがちなおれはロックスター!なので存じ上げておりますって顔して





はい!もちろんです!

座りません!曲げません!





と返事をする。


んでそこまで極端なスタイルにしてしまうと既成品のワイシャツなんて中でブカブカになってしまうのでこれもまた削ぎ落としまくったワイシャツをオーダーメイドする。


痩せ我慢がカッコいいって謎の価値観。


んでモッズスーツにモッズコート着て気分は60sのイギリス!!なのだが周りからは踊る大捜査線の織田裕二じゃん!!!ということになるのだ。



もちろん式では後ろの方で立ったまま参加した。

同窓会も立ったまま。

すごく疲れた。


バカだねー。




あれから時を経て大人になった(なってしまった)僕は今回は”体型変わっても着られる感じにしたいです”と臆面なく言える元ロックスター志望現在ブルース修行中なのであった。。


ポールニザン言うところの

僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。

だ。人生は続くのだ。
19歳の僕。

並木の試着室にて出来上がったばかりの憧れのモッズスーツを初めて着た場面。

細い。



靴はランブレッタのが欲しくてたまらなかったが探してもどうしても見つけられなかった。

何年か前にネットで見つけて今更だけどすぐ買った。

嬉しかった。

でも、やっぱりあのとき履きたかったなー。
今回は普通のスーツと中に着るベストを作った。

何を基準に普通というのかはよくわからないけど、、。

受け取りに行くのが楽しみだ。




しかしスーツ、いったい何着持ってるんだろう。

怖くて数えたことがない。

全部必要だ。

みんなちがってみんないい

金子みすずだ。

11/10(木)下北沢ろくでもない夜
「待ち合わせは屋根裏で」
Adv/Day ¥2400+1drink
Op/St 18:30/19:00

出演
アブクス
田高健太郎(北海道)
堀孝輔(みずすまし)

ひねもす大臣&THRは21:00〜


今週はライブ。

下北沢でいつも通りやります。

ブラザー、シスター、永遠も半ばを過ぎたけどまだステージでやってる。会えるうちに会おう!

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コメント: 2
  • #1

    yumiko* (水曜日, 09 11月 2022 02:43)

    19のスーツ!あれは本当に動けないね(笑)
    今回もノスタルジックな話、心地良い読ませてもらった。
    RRPは予約したが聴きにいけず悔しいなぁ!
    くそ

  • #2

    シューコアラ(岡田秀一) (水曜日, 09 11月 2022 03:07)

    いつも楽しみにしてます。
    思い出話、楽しかったです。
    あの頃の自分と重なった所がありました。
    次の会を楽しみにしてます。